1985年12月 エジプト旅日記(12/17) |
12月27日金曜日 アンバランスなオベリスク |
こちらはルクソール神殿。アメン神の妻ムゥトと息子のコンスの私邸とされています。 |
カルナックのアメン大神殿の副神殿として3キロ南に建てられました。当時はスフィンクス参道で結ばれていましたが、現在も一部残されています。 ルクソール神殿の現在の形を作ったのは、アメンヘテプ3世、その子のツタンカーメン王、ホレムヘブ王、ラムセス2世の4人の王と言われています。 |
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ラムセス2世の中庭奥にある列柱廊。 ツタンカーメン王は、宗教改革で強制的にアテン神信仰を広めたイクナアテンの後継者として、元はツタンカーテン(アテン神の生ける姿)と名乗っていたそうですが、アメン神の信仰が復活してきたことにより、ツタンカーメン(アメン神の生ける姿)と改名したそうです。子供だったので実際には後継人の大臣のアイが取り仕切っていたようです。 |
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人頭獣身のスフィンクスが続く参道。こちらは、人頭のスフィンクスです。 そろそろ夕暮れ、薄暗くなってきました。 |
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入り口正面の第1塔門。本来は右手にもオベリスクが建っていましたが、フランスに贈られパリのコンコルド広場に立っています。で、ちょっとアンバランス。 お返しに大時計を貰ったそうですが、こんなアンバランスな形にするだけの意義があるかどうか。本来一対であるべきものなのに。 で、コンコルド広場には近づきません。 |
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ルクソールの観光も終り、カイロに戻ります |