1990年4〜5月 トルコ周遊の旅 (6/29)   

5月1日 火曜日  「5月のトルコで突然の雪」

 明けて3日目、前日は機内食だったため、現地での初めての朝食です。朝食前には荷物を部屋の外へ出し、移動に備えます。ヒルトンなのでアメリカンブレックファスト。卵はオムレツを注文。
 旅も始まったばかりで、昨日はゆっくり休めたせいか、みなさん元気です。

 今日の日程は、首都のアンカラまで飛行機で飛び、アンカラ市内観光後、このツアーのメインのスポットであるカッパドキアまでバスで移動の長丁場です。

 9時前にはホテルを出て空港へ。ボーイング737クラスでアンカラへ飛びました。アンカラからは最終日のイスタンブールまでのバス移動、距離にして1500キロくらいあったのではないかと思います。日本だと青森から福岡くらいまで、道は広い(まわりに何も無い)のですが日本の一般道より路面が良くないので、乗り心地も若干悪く、ちょっと振動が多い道のりでした。

 さて、話を戻してアンカラからのドライバーはメフェットさん。アンカラ在住のドライバーです。バスガイドはいなくて(笑)、20歳くらいの男性助手がつきます。助手といっても大型免許所持で、万一の場合交代しますが、今回はずっとひとりで運転されていました。
 アンカラは20世紀になってイスタンブールから移った首都。でも、東ローマ帝国時代から歴史がある街です。アンカラは丘があちこちにあり、丘の街と呼ぶのがふさわしい街でした。
 最初に訪れたのが、アンカラ城。ウルスの丘という小山の上にありますが、今残っているのは城壁の一部くらいで、城砦と呼ぶのが正しいでしょう。バスで丘を登り、歩いて散策です。今は民家で埋め尽くされ、尾道や長崎などのように斜面に家々が広がっています。
 民家の続く中を歩いて行くと、所々に昔の城壁跡など遺跡が残っています。

     アンカラにあるウルスの丘からの眺め。昔の城砦跡ですが、今は民家でいっぱい。アンカラは丘が多い街。街中にはミニバスが多く見かけられます。
 2〜3歳くらいの子供達があらわれ、ガイドの方が説明をしている後ろで、腰をふりふりベリーダンスの真似をして笑わせてくれました。残念ながらビデオなので現在はまだお見せ出来ません。将来的にはビデオの映像もつけたいと思っています。
     
    近代トルコ建国の父と呼ばれる初代トルコ共和国大統領ムスタファ・ケマル・パシャの「アタチュルク廟」。
 「アタチュルク」とは「トルコの父」と意味。第一次世界大戦で敗戦国となり、分割の危機に直面していたトルコを救った英雄として尊敬を集めています。
 我々日本人にとってはちょっと遠い人でした。

 アンカラ市内で昼食を摂り、バスでの長い旅に出ました。途中から右手にいつまでも湖が続きます。トゥズ湖と呼ばれ、トルコには多い塩分が多い湖です。塩分が多すぎて泳ぐには不向きでしょう。
 やがて雨が降ってきました。4時半頃途中のドライブインで休憩して、チャイを注文。30分ほどして出発しましたが、やがて雪が降ってきました。

 ちなみにトルコの緯度は南端で35度弱(東京くらい)、北端でも42度(函館くらい)。イスタンブールで41度(青森)、アンカラが40度(秋田)、カッパドキアが38度(仙台)といったところ。但し、カッパドキアは標高1000mくらいです。でも5月1日に雪とは・・・。

 ホテルには6時頃到着。街まで1キロの郊外にありました。この「PERRISIA HOTEL」に入った瞬間、我々は違和感に襲われたのでありました。