1990年4〜5月 トルコ周遊の旅 (22/29)   

5月5日 土曜日  「ベルガモン・アクロポリス編」

 バスは、11時頃にベルガモンの遺跡に到着。
 ベルガモンは現在のベルガマの近くにあった古代都市の跡。アレキサンダー大王亡き後、部下のひとりリシマコスがこの地に遺産を運んできましたが、リシマコスがイズミールで戦死した後、遺産を管理していたフィレタイロスが、この遺産で王国を築きました。紀元前300年頃から150年ほど繁栄を続けましたが、後継者がいなくなった時、ローマにすべてを遺贈して終わりました。以降はローマの属州として繁栄したようですが、8世紀以降はアラブ系の支配下に落ちました。

   ベルガモン王国の遺跡はギリシャの流れを汲むもので、壮大な遺跡の後が残っています。
 昼食前に見てまわったのは、丘の上に広がるアクロポリス。現在ベルガマと呼ばれる街は遥か下に広がっています。
     
     足元には昔の柱を構成した断片が残っていますが、少しは修復され柱などが建てられて当時の威容の一部が再現されています。アーチが修復されているところでは、子供達がアーチ部分に乗って遊んでいました。落ちたら数m下の遺跡がゴロゴロしている場所、さらに斜面にあるので恐そうですが、子供達はへ平気。日本なら危険な施設として柵でも作られてしまいそうです。
     
   そして大図書館。この図書館が出来た当初は、エジプト原産のパピルスが紙として使われていましたが、アレキサンドリアの大図書館を有するエジプトに警戒され、輸出を禁止されてしまいました。そこで代用品として発明されたのが羊皮紙。丈夫で長持ちしたため、逆にパピルスが衰退し、ベルガモンは羊皮紙の輸出で利潤を上げたそうです。
     
   ローマの属州時代、アントニウスはクレオパトラの歓心をかう為に、この図書館のすべての蔵書、20万冊を送ったといわれています。ちょうどシーザーの放った火で、アレキサンドリアの図書館が、焼失してしまった時のことでした。 これはガイドさんに指名されたツアー客の人が、記念撮影で忙しくて後からやってきた人に再度説明しているの図、です。
     
    さらに、近くには「ヨハネの黙示録」でサタンの座と呼ばれたゼウスの祭壇があった場所があります。現在は、ベルリンのベルガモン博物館に収められているということです。(サタンの座についてはわかりません) 
     
   なんと言っても一番目につくのは、五万人収容できたといわれる巨大な野外劇場。ここも急な丘の斜面を利用して作られた、半円形のすり鉢上のもの。丘の斜面にそのまま階段の石が埋めこまれています。今残っているのは90段ほどの階段で、さすがに5万人は無理じゃないかと思います。せいぜい、1〜2万人か。スキー場よりも急な斜面は見晴らしが良く、暖かい晴れた日には最高の眺めが期待できます。
     
   他にあるのは、保養に訪れたカラカラ帝が全快を感謝して建てたといわれるディオニソス神殿、紀元前4世紀に建てられたアテナ神殿など。
 記念撮影に忙しい人をフォーカスしていました。
     
   正確な場所や名前は忘れましたが、直径3〜4mの井戸みたいなもの。真中に柱が残っていますが、水はありませんでした。<BR> 真中の柱にコインを乗せる事が出来ると、幸運が訪れるそうです。軽そうな一円玉で挑戦しましたが、駄目でした。確かお一人だけ上手く乗せられた方がいらっしゃいました。

 少し下に降りると、中市と呼ばれるところになります。先ほどまでが上市。ここには女神デメテールの神殿跡が残っています。