1990年4〜5月 トルコ周遊の旅 (26/29)   

5月6日 日曜日  「イスタンブールまでの遠い道」

 眠る人達を乗せて、バスは暗闇を走ります。トルコのバスは運転手は運転手、助手は助手と役割が決まっています。助手とはいっても免許は持っているようですが、運転手がどうしても運転できない場合以外には助手が運転をすることはないようです。そのため今回の運転手のメフェットさんは、仮眠も取らず運転を続けていました。
 4時半頃ようやくチャナッカレに到着しました。ここでフェリーの乗船待ちです。黒海と地中海を結ぶ海、ダーダネルス海峡を渡って、ヨーロッパ大陸側に移ります。

ビデオ画像予定    時間があったのでちょっと休憩。日没は8時と遅いのですが、夜明けは6時少し前。まだ、真っ暗です。こんな時間でもお店が開いていたので物色。今回のバス移動中、ずっとトルコの流行中のミュージックがかかっていました。中でも車内で受けが良かったのが、SEZEN AKSUという女性歌手の「シナナイ」という歌。車内では老若男女を問わず人気でしたが、助手の青年に聞いてもトルコで1番人気があるということ。中にはテープを置いているところもあったので、「デューユーハブ シナナイ?」と怪しげな英語を使うと、棚から取り出してくれ、デッキにセットして正しいことを確認させてくれました。自分の分だけ買うと後で怒られそうなので、2個買いました。バスに戻った後で1個を人に譲って一件落着。
     
     5時頃バスはフェリーに乗り、15分ほどで対岸へ。5時半過ぎには若干明るくなってきました。6時過ぎに日の出を迎えましたが、ビデオカメラを構えて窓の外を写しつづける私以外に、起きていた人はいたのでしょうか。
 バスは右手に海を見ながら走りつづけ、9時過ぎには空港に到着です。これからまださらにアンカラまでバスを走らせて帰る二人と、ガイドの人に別れを告げました。帰りは助手が運転することになるのかもしれないですね。
     
 写真なし    11時頃イスタンブールを後にして、往きと同じコースを辿ります。で、まずワルシャワへ移動。お昼頃にはもう到着。でも、ワルシャワを発つのは、夜の10時近く。少なくとも9時間近くを乗換え待ちで、空港ロビーで過ごさなければなりません。
 ハードスケジュールのお詫びに空港のレストランで休ませていただいた時間もありましたが、生暖かいビールしかないとか、長い時間ベッドで横になっていない我々にとっては苦行でした。おまけにガラス張りのロビーは暑いくらいで、体力を消耗させます。
 長く苦しい時間が過ぎ、ようやく日本に向けて飛び立つ時間がやってきました。でも、楽しいポーランド航空です(苦笑)。なんか食欲がなく、機内では何も食べずに過ごしました。

 モスクワに一旦降り立った後、成田まで。到着は午後6時。お決まりのバゲージクレイムでみなさんに別れを告げ、それそれ家路につきました。
 新幹線の最終に間に合わなくは無かったのですが、体力も限界なのでリムジンバスで新宿へ。過去に泊まった事がある某ホテルで、ようやく旅の疲れを落としました。